慶應義塾が「福澤諭吉」を商標登録できた理由
2017/04/14 国際「知的財産権」について勉強しなければいけないなあ、と思いながらも、きちんと勉強しないままここまで過ごしてきました。そこで『楽しく学べる「知財」入門』(講談社現代新書)著者の稲穂健市さんに、知りたいことをガンガン伺いました。
1回目は、そもそも知財とは何なのか? 主に著作権と商標権の違いについて、専門家の立場からわかりやすく解説していただきました。
■知的財産とは「経済的な価値のある情報」
木本:基本の基本から伺います。そもそも「知的財産」という言葉がよくわからない。これって何なのでしょうか。
稲穂:「知的」という言葉から高尚なものを想像するかもしれませんが、別に高尚である必要はありません。簡単に言えば、人間が頭で考えて作り出したものは経済的な価値を持つことがあり、その情報の部分を財産としてとらえたものが知的財産です。
木本:モノそのものではなく、情報の部分なんですね。
稲穂:たとえば、木本さんが絵を買ったとします。その絵はあなたの所有物になりました。部屋に飾るのはいいとして、それを勝手にコピーして絵葉書として売るのはダメです。というのも、そういった行為には原則として絵を描いた人の著作権が及ぶからです。著作権は知的財産権のひとつです。
たとえおカネを得ていなくても
木本:なるほど。絵は個人の所有物だけど、絵の「情報の部分」を使っておカネを得る権利は持っていないわけですね。
稲穂:木本さんが私の本を勝手にスキャンしてその画像をインターネットに上げたりすると、たとえおカネを得ていなくても、著作権侵害となります。
木本:そのまま使うのがマズいことはわかりました。それでは、ネットのコラムを読み、面白いと思って言い回しを変えて使うとします。かなり書き直すことも多いと思いますが、どこからが著作権を侵害することになるのでしょう。
稲穂:著作権は、著作物を複製する「複製権」や翻案する「翻案権」など、さまざまな権利の束となっています。著作物とは、「文芸、学術、美術、音楽などの分野で、人間の思想・感情を創作的に表現したもの」をいいます。元ネタが著作物の場合、それをそのまま使ったり、元ネタの表現の本質的な特徴がわかる形で書き直したりした場合は複製権侵害や翻案権侵害となります。
もちろん、元ネタの表現から離れていれば問題ありません。また、文章を作ると権利が発生すると木本さんは思っていらっしゃるかもしれませんが、ものすごく短いフレーズや、誰もが思いつくありふれた表現は、そもそも著作物ではないため、権利も発生しません。
■「今でしょ」に著作権はあるか?
木本:ええ!? 短いフレーズには権利が発生しない?
稲穂:「ダメよ、ダメダメ」「いつやるの、今でしょ」に権利が発生すると大変です。あの人たちがしゃべったことで有名なフレーズになったのは事実ですが、ここまで短いフレーズに創作性を認めることは困難です。
木本:となると、和田アキ子さんの「はっ」も短すぎますね。アッコさんも特許を取ろうと思っていないでしょうが、尺(長さ)のボーダーラインはどのあたりに?
稲穂:著作権の場合、それはケース・バイ・ケースです。ところで、今、特許という言葉を使われましたが、他の権利と混同されているかもしれないので、整理しましょう。
木本:確かにわかっていないので、教えてください。
著作権は独自の創作について発生する権利
稲穂:知的財産権は主に5つあります。発明に関する「特許権」、物品の形状や構造などの考案に関する「実用新案権」、物品のデザインに関する「意匠権」、商品やサービスにつける営業標識に関する「商標権」、そして、小説・絵画・音楽などの著作物に関する「著作権」です。それぞれ保護対象や保護期間が異なります。最初の4つは特許庁に出願してお墨付きを得られたものが権利になります。
著作権は著作物を創作したのと同時に権利が発生します。先ほど、ものすごく短いフレーズには権利が発生しないと言いましたが、一般的なあいさつ文をつなげて長い文章を作っても、やはりありふれた表現にすぎませんから、著作物とはいえません。その一方で、俳句や短歌は短い文章ではあるものの、創作的な表現がなされているという理由から著作物性はあるとされています。なお、著作権は独自の創作について発生する権利なので、どんなに似通っていても、他人が独自に創作した著作物に対してはその効力は及びません。
■「ファイト一発」を独占できるか?
木本:大正製薬が「リポビタンD」のCMで使用している「ファイト一発」には著作権があるんでしょうか。
稲穂:先ほどと同じ理由で、おそらく著作権はないと思いますが、「ファイト一発」に関しては商標権がありますので、その点には注意が必要です。「ファイト一発」については、「文字の商標」に加えて「音の商標」も認められています。もっとも、商標はあくまでも商品やサービスの営業標識、いわゆる目印ですから、木本さんが、特定の商品やサービスとは無関係な文脈で「ファイト一発」と叫んでも、商標権の侵害とはなりません。
木本:「お~いお茶」も「音の商標」として登録商標になっていると先生の本にありましたが、どこかの紅茶を宣伝するために私が「お~い紅茶」と言った場合も権利の侵害になるんですか?
稲穂:「お~いお茶」の「音の商標」は、「茶」などを指定商品として登録されています。商標は指定された商品・サービスとセットで登録されます。この場合、商品は互いに類似しますので、商標が互いに類似しているかどうかが問題となります。類似するのならば侵害です。実は、「音の商標」については、登録できる制度が始まって間もないこともあり、実際に争われた事例がなく、どのような場合に権利侵害となるのか、裁判所の判断基準がまだはっきりしません。文字の場合は「見た目」と「読み方」と「意味合い」が似ているかで判断されます。
最初に芸術がかかわっていたかどうか
木本:アナログな考え方なんですね、かなり広い範囲でイメージしながら決めていく印象があります。
稲穂:そうですね。裁判所の判断も、地裁、高裁と進むうちに変わることもあります。
■三越と高島屋、同じ包装紙でも違いがある?
木本:著作権の話に戻りますが、先生の本で、三越と高島屋の包装紙で権利の考え方に違いがあるというくだりは面白かったです。三越の包装紙に著作権があって、高島屋の包装紙には著作権がないと考えることができるのはなぜでしょう。
稲穂:包装紙は、基本的に工場で大量生産される実用品です。たとえばノートもそうですが、これらの紙製品は意匠登録することで「意匠権」によって保護される建てつけとなっています。量産できる実用品の場合、著作権が発生するのは、高度の美術性があるものや美術工芸品など一部の例外に限られると考えられています。
木本:意匠権は、量産できるものを対象としているのですね。
稲穂:ですから、包装紙も原則は意匠権で守られるべきものです。とは言いながらも、三越の包装紙は洋画家の猪熊弦一郎さんの抽象画を転用したものです。その抽象画は美術の著作物であると考えられます。一方、高島屋のほうは初めから包装紙としてデザインされているため著作権がないと考えられるというわけです。
木本:最初に芸術がかかわっていたかどうかという差があるんですね。
稲穂:オリジナルの著作物があるかどうかは重要です。電子玩具のファービー人形が一時期流行し、海賊品が出回りました。電子玩具は量産品ですから、本来は意匠権で保護されるべきものですが、その当時ファービー人形の意匠権はまだ取れていなかったので、検察側は海賊品の業者を著作権侵害で起訴しました。ところが裁判所は美的特性を備えていないという理由からファービー人形のデザインは著作物ではないと判断し、被告は無罪となりました。
最初に漫画やアニメがあったら
稲穂:一方、キャラクターの絵柄は美術の著作物として保護されると考えられていて、実際に著作権侵害が認められています。ですから、ファービーについても最初に漫画やアニメがあって、そのあとに人形が作られていたのであれば海賊品が著作権侵害と判断されたかもしれません。
木本:ということは、もちろんドラえもんには著作権があるということですよね。
■ドラえもんの「設定」はパクリOK
稲穂:実はちょっと複雑です。ドラえもんというキャラクター自体に著作権があるわけではなくて、漫画やアニメの絵柄が著作権で保護されることになります。まるまるコピーをすれば、もちろん侵害ですし、ちょっと違っていても一見してドラえもんとわかるものは侵害となるでしょう。でも、火を見て逃げ出すとか、どら焼きが好きだとか、ネズミが嫌いという設定は保護されません。誰かが漫画を描いて、もともとは耳があったけど食べられたという設定のキャラクターを登場させても、それだけでは著作権侵害にはなりません。ドラえもんの絵柄の本質的な特徴が感じられるかどうかがポイントです。
木本:僕、大阪でムーミンのパクリを見ました。Tシャツの絵なんですが、ムーミンが自分の体に布団をかけて寝そべっていて、目には白布がかかっていて、そっくりの字体で「エーミン」って書いてありました。こんなの絶対ヤバいでしょう?
稲穂:(画像を見て)これは微妙ですね。布団と白布で体や顔の大部分が隠れているからです。ただのカバと言い逃れできるかもしれません。裁判になったとしたら、ムーミンの絵柄の本質的な特徴を感じられるかどうかがポイントとなるでしょうね。
木本:聞けば聞くほどアバウトな線引きに思えてきました。
稲穂:一応基準はあるのですが、結局のところ、ケース・バイ・ケースです。著作権だけではなく、特許権の場合でもそれは同じです。たとえば、特許が認められた装置があって、その特許の権利範囲を定めた文章どおりの装置を他人が無断で作ったら特許権の侵害ですが、言葉を1つずつ当てはめていって、ちょっとした差異があった場合は、必ずしも侵害とは言い切れません。
類似するかしないか…
稲穂:商標権も商品やサービスを指定して取るものですから、たとえ他人の登録商標と同じ商標を使っている場合でも、指定されている商品やサービスと類似しないものについて使っているかぎりにおいては、少なくとも商標権の侵害にはなりません。もっとも、類似するかしないかについては判断の難しいものもあります。
木本:商標の話が出てきたのでお聞きします。生きている人の名前は商標登録ができず、亡くなった人の名前ならば商標登録できるとありましたが。
■「福澤諭吉」が慶應義塾の登録商標になったワケ
稲穂:実は、そう単純ではありません。生きている人の名前でも本人から承諾を得れば大丈夫ですし、亡くなった人の名前も歴史上の人物である場合は、無関係な人が出願すると公序良俗に反するという理由から、最近の特許庁の運用では拒絶されるようになっています。
では故人と関係があれば取れるのかというと、それもまたケース・バイ・ケースです。慶應義塾が商標「福澤諭吉」を出願しましたが、いったんは遺族の承諾が得られていないとして拒絶されています。その後、遺族の承諾を得て、福澤諭吉の名声・名誉を保全する立場だと主張したら登録されたのです。
木本:高知県が「坂本龍馬」の商標を出願したら拒絶されたのはどうしてでしょう。
稲穂:「坂本龍馬」は町おこしなどで全国いろいろな場所で商標として使われているといった理由から、特許庁は高知県が独占するのはダメと判断しました。確かに、京都の伏見や品川の立会川など、龍馬ゆかりの土地は全国のあちこちにあって、関連グッズも売られていますからね。
木本:福澤諭吉は坂本龍馬ほど人気がなかったということでしょうか。
稲穂:さあ、どうでしょうか? 福澤諭吉はお札にもなっているわけですからね。でも、特許庁は「福澤諭吉」を慶應義塾に独占させても他から文句は出ないと考えたのかもしれません。
木本:高知県が「うちの坂本龍馬だ」と独占するのがダメなのに、慶應義塾が「うちの福澤諭吉だ」と独占するのは「どうぞどうぞ」なんですね。どちらも偉人なのに、なんか変な感じですね。
稲穂:ただ、誤解してほしくないのは、高知県が「坂本龍馬」の商標を使って商売ができないかというと、そういうことは全然ありません。他の人が同一・類似の商標を使用することなどをやめさせることができないだけです。
木本:逆にいうと、いろいろな場面で使える。独占できないからといって、ネガティブなとらえ方をする必要もないんですね。次回は、僕が生きているお笑いの世界の「ものまね」について伺います。
(構成:高杉公秀)
本文章は『東洋経済オンライン』から転載されたものです。